NHKの朝ドラ、カムカムエヴリバディがとてもおもしろく、毎日見ています。NHKのドラマの説明をそのまま書くと、3人のヒロイン(上白石萌音・深津絵里・川栄李奈)が、母から娘へとバトンをつなぐ三世代100年のファミリーストーリーです。
カムカムエヴリバィ(Come Come Everybody)のタイトルは、戦後直後にNHKラジオで放送された英語講座のオープニング曲が由来のようですが、「皆、来い!」と全ての人が主人公だという意味もあるようですね。
一生懸命頑張りながらも、運がするりと掌からこぼれていく、それでも日向を懸命に歩こうとする登場人物たちに心が打たれます。
フィギュアスケートの羽生結弦選手の言葉ではないですが、「報われない努力」は存在します。
挑戦が裏目に出ることだってありますし、何をやっても努力がうまくいかないこともあります。
長いこと上手くいかず、あきらめたくなる私たちに、
もっと強くなれ、もっと頑張れ、あきらめたら終わりだ、と人は善意で言うものです。
しかし、これ以上頑張ることができないこともあれば、頑張れ、夢をあきらめるなという励ましの言葉が残酷に聞こえることもあります。
役者をあきらめようとした五十嵐にひなたの励ましが余計に彼を傷つけてしまったように。
挑戦というのは失敗する可能性があることを覚悟しなければなりません。
失敗する確率がなければ、誰でもやるでしょう。努力はウソをつくし、その努力で失うものもある。
だから、人は躊躇するのです
うまくいかないかもしれない、挑戦することでさらに悪くなる可能性もある。
そんな中で挑むからこそ挑戦することは美しく、時には残酷でもある。
先日、すべき苦労と避けるべき苦労というブログを書きました。
この記事では、すべき苦労と避けるべき苦労について考えてきます。苦労を2種類に分けるだけで思考がシンプルになります。苦労は買ってでもしろ!とはよく言われますが、苦労している人が良い人生を送っているかというと必ずしもそう[…]
目的を持った苦労と目的のない苦労の違いを書いたもので、目的を持った苦労はすべき苦労だと思いつつ、必ずしも報われない可能性もあるのが人生の深みとも言えるのでしょう。
カムカムエヴリバディでは、スポットライトが当たるのを夢みて時代劇の切られ役を40年続けている虚無蔵が、出番のチャンスがなく進むべき道を迷う五十嵐に伝える場面があります。
虚無蔵:「日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ」
五十嵐:「来ないかもしれない機会を待ち続けるなんて理解できない」
そうなのです。いつ来るとも分からぬ機会は、永遠に来ないかもしれないのです。
それでも続けるのか、新しい道を探すのか、これが極めて難しい。吉と出るか凶と出るか、判断ができないところなのです。
「うーん、、」このセリフに唸らされました。
僕もいろんな挑戦をし、挫折も多い。今もその最中かもしれない。
自分の努力の方向性は間違っているのかな、いや上手くいかないにしても方向性は合っているはずだ。その繰り返し。
幸い後になって芽が出ることもありますが、今でも芽が出ずにいるものもあります。多くの人がそのような経験をしたことがあるのではないかと思います。
挑戦してうまくいかなかった、努力が報われなかったと辛い思いをしている人にどんな言葉を投げかけるのが良いのだろう。。。
落ち込んでいる自分、苦しんでいる自分にはこういうだろうな。
「人生の最後の日に笑うことができれば、人生は上手くいったのだ」
まだ、私たちは死んでいない。最後の最後に笑えれば、私たちの人生はうまくいったのだ。
今は苦しいかもしれないけど、まだまだわからないぞ、日向の道を歩み続けよう。そんなメッセージを届けてくれるこのドラマが好きです。
人生を切り開こうと、何かにもがいている人の姿は美しい。
もがいても、最後は笑おう!