他人との比較に苦しむ少年時代


小中高の記憶

比較の意識が芽生えた少年時代

小さいころの強烈な記憶はそれほど多くなく、生き物が好きな子供でした。自然が豊かな場所でザリガニやサワガニ、カブトムシやクワガタなどを採り、飼っていました。目立つことを好まず普通の子だったと思います。

夢はなぜか学者になることで、新しい理論を発見し地球をさらに深く見つめたいという気持ちを幼少の時から持っていました。これは、父親とおじいちゃんが大学教授だったので、自分も学者になるものだという気持ちがあったかもしれません。

学年が上がるにつれて、テストや成績表、クラスの人気、運動神経など比較の世界が入り始め、自分自身も優位に立とうと無意識に戦っていたように思います。少なくとも小学校時代からは持っていたような記憶があります。

この分野ではAくんよりも上、別の分野ではBくんよりも下など無意識にも比較をしながら優越感をいだいたり、劣等感をいだいたりしていました。今から思えば、優越感だろうと劣等感だろうと自信がないという意味では同じなのですよね。

中学受験

小学校5年生から私立中学を目指すようになりました。ちょうど校内暴力が社会問題化していた時期で、地元の中学校も何枚かガラスが割られていました。

母親は、中学時代に公立中学校に通っていたのですが、良い思い出は少なかったようです。そのため、私たちには公立中学は良くない、校内暴力もあり、いじめもあり辛い思いをすることになると、よく言っていました。

大げさではなく公立中学に行ったら地獄を見るのでは、そんな脅迫心もあり(笑い)、私立中学校を目指し受験勉強をしました。学校の中で勉強以外では優位性を持てず、私立中学校に行くことで見返そうという思いもありました。

小学校時代がそこまで面白いと感じられず、私立の中学に行けば天国のような世界になるはずだと勝手に妄想してました。そして、たぶんギリギリだったと思いますが、何とか私立中学校に受かりました。

入学した私立中学校はマンモス校で、生徒数は中学のとき1学年で700人(全校生徒かよっとツッコミをいれたくなる)、さらに高校になると生徒数は、1学年1500人を超えていたんじゃないかと思います(ここまでくると全校生徒ですらないですね)。

1500人の内、100人が東大に入る、下ははぐれ者になってしまう人もいるような学校でした(今はどうか知りません)。成績順にクラス分けされ、成績が常に比較される環境でした。

それほど敏感にならない子供たちも多かったのですが、僕が中学のときは僕自身、周りに敏感になっていました。今思えば自分に自信がなかったのでしょうね。

他人との比較を意識されやすい環境にいると、上には上がいるし、他人の優れたところに目が生きやすくなるので自己肯定感が育ちにくくなります。自己肯定感が低いと自分を保つために世の中が認める基準で優位性を保とうとしがちです。

僕は典型的にそうだったと思います。
中学時代はこんな感じで、ちょっと暗い感じですよね。(笑)

高校時代と浪人時代

高校時代

中学は私立だったので、高校で行ける高校がなくなるということはないのですが、入学試験はきちんとありました。しかも、この超マンモス校は、高校入試の結果をもとに成績順にクラスが分かれていくのです。それも上から下まで17クラス。まったく正気じゃありません(笑)。

なので高校にはエスカレーター式で上がれるんだから勉強しなくなるだろう、、と思われがちなんですけど、実際はそんなことは全くなく、勉強する人は外から入ってくる生徒以上に勉強します。そして、僕も勉強している側でした。

普通に勉強して成績は中の上くらい。上には上がいるし、下には下がいる。なにしろ1学年が1500人以上いて、成績も自分が何番かわかるようになっている。科目と総合得点で成績上位者は張り出される。校長が元予備校の先生で、予備校の方式を高校に導入したようです。

「学校だけで大丈夫。塾はいらない」と言われてましたが、何のことはない。学校が塾なわけです(笑)
こうして、塾のような学校で受験勉強をしましたが、浪人時はすべて不合格。浪人することになりました。

浪人時代

高校時代は他校の生徒を知らないので、高校時代は視野が狭かった分、迷いは少なかったです。しかし、浪人時代になり予備校に通うと、いろんな生徒に触れますし、高校時代の先生とは異なる考えの先生とも接するようになります。

視野が広がった分、迷いも多くなりました。大学に入って何をやるんだろうか。大きくなったらどう生きたらいいんだろう。とか真剣に考えるようになります。現役のときは大学に入れば全てが解決するなんて考えていたのが、そんなことがある訳ない。実際、自分は何をやりたくて、何を目指すんだろう、、と少年ながら考えるようになってきます。

特に、実際どうなんだろう。。。と考えたのが高校時代、校長がよく言っていたこと「必ずしも東大が全てではない。しかし、偏差値の高い大学に入るほど人生の選択肢は増えるのは事実」 これ本当のところ、どうなんだろう??

たしかに偏差値の高い大学にいても、歌手になる人もいるし、すし屋の職人にもなることもできる。同時に、AIやネットのプログラミングなんかを作ったり、投資会社なんかの花形の職業(かどうかわからないけど)にも就けるかもしれない。

しかし、学歴が低かったら、学歴を必要としない仕事はつけるが、学歴が必要な仕事には就けない。つまり、その分、選択肢が減るということだ。と校長は言うのです。

確かにそうだよな、。とその時は思ったのです。しかし、浪人してもう一度考えてみると、「いや、待てよ、、、。」
例えば東大生が、すし屋をやりたくなったとして(僕はその選択ができるか?)と考えました。

世間的なものを気にしたり、せっかく東大に頑張って入ったのに、、と思ってしまうんじゃないだろうか。
結局のところ、選択肢は広がっているようで、広がっていないんじゃないか。そんな気持ちが頭をもたげ、いやそうだろう、、と疑えなくなりました。

 

そう思うと、何かやる気もなくなるというか、偏差値の高い学校に行くのもある意味、決められたルートにのっちゃうんじゃないかと不安になってきた。それによって、受験勉強はおろそかになるのですが、その視点って大事だったなと今でも思います。

劣等感が多くあったのでしょう。というか、人が作ったモノサシを基準として、比較の世界に生きると劣等感が生まれやすくなりますね。
だからこそ、他人との比較はしても幸せになれないというのを身をもって実感があります。少年時代の反面教師ってやつです。

 

パンダくん
だんだん大きくなるにつれて、人と比較して劣等感が生まれることがあるよね。

タライ・ラーマくん

他人が作ったモノサシを基準に生きると、比較に苦しめられやすくなるね。
自分が何を感じているかが大切だと思っているよ。
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