試験中に倒れたことで幸運の扉が開かれた


センター試験会場のストーブで脱水症状

センター試験中に倒れる

大学受験のセンター試験当日、アクシデントがありました。この体験は僕に大きな影響を与えています。

その日はとても寒い日でした。試験会場で、私の席の隣にパネルヒーターがありました。ちょっと暑いな、、と思いながらも試験を受けていたのですが、時間と共にヒーターがどんどん熱くなってきます。

これはやばいぞ、、と思いながらも恥ずかしさから手を挙げることなく、試験中暑さと戦っていました。とうとう暑さにやられ脱水症状となり、試験中に運ばれ、頭に水をかぶって何とか回復するも、朦朧とした状態でテストを受けることとなりました。

雪崩式に不合格

これでセンター試験は壊滅です。これで希望していた国立大学の受験も難しくなりました。ここで大きなプレッシャーがかかってしまい、勢いも失われたこともあって、受かると思われていた私立大学も次々と不合格となっていき、滑り止めだった地方の私立大学のみ合格となりました。

希望していない大学への入学

これはしばらく受け入れることもできないほどのショッキングな出来事でした。なんで、がんばったのに、この大学の生徒にならなければならないのか、と受け入れられない状態が3、4か月続きました。

しかし、時間は最大の癒しと言われる通り、現実を受け入れる日が来ました。まあ仕方がない。暑かったのならば大事になる前に手を上げれば回避できたかもしれない。僕が手を上げなかったのは、合格したい気持ちよりも恥ずかしさが上回ったということだろう。その気持ちでは本当に合格したい人間には勝てなかっただろう。これも実力だったのだと自然と思うようになりました。前に進むためにはそう思うより仕方なかったのかもしれませんね。

『僕はこの大学の学生なのだ』という事実を受け入れると、少しずつこの学校の良さが見えてきました。友達の良いところも見えてきて、実はこの学校が合っていたのではないかと思うようになってきました。

運命を受け入れ、幸運の扉が開かれた

地方にある大学でしたので下宿をすることになりました。一人暮らしは初めての経験です。両親は一人暮らしなどできるのかと心配していましたが、いざやってみると自分の好きな時に起き、好きな行動をして1日を過ごすができる天国でした。田舎の大学なので、学生はファッションセンス皆無、ファッションを気にする必要がない。マウントを取られることもありません。

この大学は理系バリバリの大学で、私の所属していた機械工学科など180人の学生の中で女子は2人しかいませんでした。その2人もガソリンスタンドで油にまみれているような女学生です(失礼!)。油にまみれた女学生に男子学生は蟻のように群がる、そんな大学です。

中高と男子校と言っても良い生活だったので、その反動で女子が多いサークルを探しました。ありました!これこれ!スキューバダイビングサークル。メンバーの半分は女子学生でした。機械工学の女学生は油が好き、スキューバダイビングサークルの女学生はサンゴ礁が好き。サンゴ礁が好きな女性を好んだのは言うまでもありません。

ワクワクの発見

スキューバダイビングサークルに入部

こうして半分以上不純な動機でスキューバダイビング部に入ることになりました。半分女の子目的で入部したようなサークルでしたが、海の世界をみたとき、女子学生もさることながら、海の生態系にも興味を持つようになりました。こんなに美しい世界があったのか、この美しい世界はいつまでも残したいな、、と心から思うようになっていきました。

学部時代の専攻は機械工学科だったものの、正直機械が好きなわけではありませんでした。機械が心から好きで入学した学生と機械工学科の評価が高いから入学した僕たちのような学生では、目の輝きが全く違います。心底好きな学生にはどうやっても勝てないことを痛感しました。

進路の転身

不純な動機が混じった中で入部したスキューバダイビングを通して、いつの間にか環境を守る研究をする学者になりたいと考えるようになり、大学院は機械工学から生物化学に進むことにしました。機械工学と生物化学は分野が全く異なるため、それなりの受験勉強をする必要が出てきます。大変なのは大変ですが、大学受験の時と違って、自分のやりたいことをやるために入るのだから、と大学院に向けた勉強もそんなに苦しく感じなかったです。

ついでに大学院も変えることにしました。今いる大学でそのまま進んでも良かったのですが、あこがれる指導教官が他校にいたこともあり、そちらを目指すことにしました。外部からの大学院進学は大変だったのですが、凄く勉強して運よく合格することができました。こうして、大学受験時代に第一志望としていた大学に、大学院生として通うことになったのです。専攻も変えて。

何が幸運か不幸かは死ぬまでわからない

『人間全て塞翁が馬』という故事がありますが、何が成功で何が失敗かはわかりません。僕はこの経験からできごとに意味付けしないことにしました。プラスにもマイナスにも考えない。私たちに想像できない、もっと大きな力が働いているように感じられたのです。

宇宙のサポートというものがもし存在するのだとすれば、そのサポートはスーパーコンピュータの視点から行っている。一方、僕たちの考えることなど電卓の手計算のようなものです。電卓の私がプラスだ、マイナスだと解釈するよりも、もっと性能の高いスーパーコンピュータの視点で導き出したサポートを信頼すればよいのだ、良くも悪くもそう思うようになりました。

僕はセンター試験でストーブが目の前にあり試験中に脱水症状を起こしてしまった。このアクシデントだけみるとマイナスですが、このおかげで、大学時代は楽しめたのも事実、そしてものごとの受け止め方も変わりました。

宇宙はとてつもなく大きなプレゼントを与えてくれたのです。

タライ・ラーマくん

何が幸運で何が不運かは本当に最後までわからないものですね。
不運の先に幸福の扉が用意されていることも多いですからね
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