個性と民主主義を大切にする学校で子供はどう成長するか


個性と民主主義を大切にする学校へ入学

こうして当たり前の生活のありがたさをかみしめながら生活をしていく中で、息子が小学生になりました。
小学校入学後、順調に通っていた息子でしたが小学校3年生で急に学校に行けなくなりました。

小学校2年生のときから予兆はありました。耳が痛いと学校を休み、耳鼻科に連れて行っても特に悪いところがないと言われる。
心身症の症状です。幸いにも私たち夫婦は息子を追い詰めることはせず、休みたかったら休めというスタンスを取っていました。

そして、小学校3年生に上がったとき、学校の先生との相性が良くなかったようで学校に行けなくなりました。
私たち夫婦も担任の先生と面談をしましたが、その担任の先生に落ち度は全く見当たりません。
本当に相性の問題だと今でも思っています。

気分転換を図るため、妻と息子を沖縄旅行に行かせましたが、妻からの話では沖縄でも学校を思い出すと急に暗い顔をしているとのことでした。

サドベリースクール

幸いにも妻も私も全く悩むことはありませんでした。というのは、当時、サドベリースクールという新しい教育スタイルを持った学校に注目しており、息子が中学生になったら通わせようと計画していたからです。

学費の問題はありますが、妻も私もサドベリースクールに入学させる時期が早まった、むしろチャンス到来と楽観的に捉えていました。

サドベリースクールというのはボストンにあるアメリカの著名な物理学者が創設した学校です。
自分に必要なものは自ら学ぶものである。という理念に基づいて運営をされています。決められた授業もなく全く自由な校風です。

生徒はメンバー、先生をスタッフと呼び、メンバーとスタッフが同じ一票を以て学校を運営しています。
学校の予算やスタッフの給料もメンバーとスタッフが決めます。
スタッフの給料が高すぎれば、学費を払えない親が出てくるでしょうし、逆にスタッフの給料が低ければスタッフは離れていきます。

どのあたりのバランスを子どもたちメンバーとスタッフがミーティングしながら決めていくのです。
決められた授業もありませんし、年齢はミックスです。
全ての活動が等価であり、自分がしたいことをするというスタイルの学校です。

本拠地はアメリカにあるものの、日本でも公認ではないですがそのモデルに倣った学校がいくつかあります。
その内の1つが私の住む近くにあり、高校時代の先輩が設立していました。

字が書けずに卒業することもあり得る!

サドベリースクールでははじめに体験入学が10日ほどあり、親子面談が行われます。まず、親の意志だけで入学はされません。
子供が入学したいかどうかが第一に優先されます。

(実際には、10日では終わらず、慎重な性格な息子らしく、サドベリー入学にゴーサインを出すまで、1か月ほど体験入学をしました。入学してからもしばらくは、「お母さんは僕のことを信頼していない!」とよく妻に言っていたようです。)

子供が入学したいとの意思が確認された後、親との面談が行われます。
面談の際は、子どもがどのように成長するかは子供自身の選択によるもので、スタッフは子供をコントロールすることは一切行わない。

もし、子どもが字を学ぶ必要性を感じなければ、字が書けずに卒業する可能性もある。
それでも入学しますか?というある意味踏み絵のような質問をされます。

子供の人生は100%子供の責任である。自分と他人を一体にしない。いわゆる『離別感』と言われるものですが、人との関わりの中でとても大切にされる言葉があります。

サドベリースクールは離別感を究極なまでに押し進めた学校です。
子供の人生は、子ども自らが決めるべきものであり、親や先生が決めるべきではない。

従い、授業も押し付けてはならないし、スタッフとメンバーも対等である。
学校の運営も子供たち一人ひとりが一票を持ち、子どもも大人と対等な立場で運営に関わるべきであるという思想なのです。

よくも悪くも子供の人生を100%信頼できるか。子どもが選択した人生を信頼できないのであれば、入学してもうまくいかないことが多い傾向にあるため、入学しない方がお互いにとってよいと、面談の際に言われるのです。

そんな面談の中でも、私たちに迷いはありませんでした。私自身の小中高時代を振り返り、魅かれたレールに乗って生きても自分で選択したものでなければ後悔が残ります。

自分で100%なんでも選択する環境で、たとえ自分の選択で人生がうまくいかなかったとしても、自分の意志で選んだのであるから、悔いは残らない。

正解を選ぶのではない。選んだ方を正解にするのだ。
息子もサドベリースクールへの通学を望んでいるのであれば、私たち親はその意思を尊重すべきではないかと考え、息子が行きたいのであれば、とすぐに入学を決めました。

サドベリースクールには良い面と悪い面があります。悪い面というか注意すべき点です。

ネットなどを見てもこの注意すべき点が語られることが少ないように思います。しかし、実際には注意すべき点にも留意して、サドベリースクールと一条校(いわゆる文部科学省が定める公立学校や私立学校)を捉えるほうがよいでしょう。

サドベリースクールの良い点


● 子供の個性が尊重され、決められたモノサシ(成績や運動神経、友達の多さなど)が全く存在せず、比較されることがない。

 その結果、優越感を持ったり劣等感を持ったりする子供はいない。

 自分のペースで人生を生きられるため、後悔が少ない(とさせる)。実際は大人になってないのでわからないですが。

 いじめや人間関係での悩みは少ない。(学校に行く行かないも全くの自由)

次にサドベリースクールで注意すべき点を書いてみたいと思います。これは一条校の良い面の裏返しでもあります。

サドベリースクールで注意すべき点


 成績は保証されない

 誰でも好きなことが見つかるとは限らず、大人の作ったマーケティングにやられることがある

 嫌なことに対する抵抗感が低くなりがち

 スタッフは子供たちが望まない限り教えることはない。躾や社会に出るときに必要となることは家庭で教えることが大切

本当に良い面と悪い面があり、どちらが良いかはわかりません。和食が好きか洋食が好きかというのと同じです。家庭教育によって、サドベリースクールの課題を補うことができますし、逆に一条校の課題を家庭教育で補うこともできます。

いずれも学校だけに任せず、家庭教育が大事になると思います。

待つことの大切さ

自分の名前が書けない小学校時代

息子がサドベリースクールに入学した小学校3年生から中1まで全く勉強せずにゲームとYouTube、カードゲームばかりしていました。何度口を出そうかと思いましたが、息子が選択した生き方だからと待ち続けました。

息子がいないところで妻と何度話し合ったかわかりません。私たちの両親(息子からみると祖父母)の心配も大きく、本当にこんな教育で大丈夫なのかと何度も言われました。

そういう圧力を感じるたびに、私たちは息子の人生を100%信頼しているのか。逆に、息子にとんでもない人生を歩ませてしまうことになるのではないか、と葛藤が続きました。

自分の名前さえ書けない息子に勉強しろと言いたいのを抑え、中2までは好きにやらせよう、中2を過ぎても何も勉強しないなら、そのときはひと言言おうと心に決め、日々を過ごしました。

中2で変化が現れる

息子が中2の年齢(13歳)になって変化が現れました。勉強に目覚めたようです。塾に行くのは嫌がったので、小学校3年生の教科書を使って親と共に勉強することになりました。

1日1時間を親が息子に教え、その他は自分で勉強する。今の時代はYouTubeなどでも勉強の解説をしているものが多いので、独学しやすい環境です。

勉強に目覚めた息子の成長は目を見張るものがありました。3か月で1学年を終わらせていき、今までの遅れを取り戻そうとしています。
息子自らが選択していることで、やる気もあります。

サドベリースクールの教育が面白いのは、小さな時から人生を自ら選択しているので、他人をうらやむことは一切なく、他人を蹴落とすという発想は一切ありません。

興味の進むままに生きており、ネガティブなニュースも一切みることなく、他人との比較によって生じるエネルギーロスがない分、幸せそうです。小学校のときに悩まされていた耳の痛みも、サドベリースクールに通ってから、全くなくなりました。

今から思えば、学校の授業内容としては小学校2年生で止まっている息子に対して、妻も私も息子に対して一度も馬鹿だと言わなかったことは誇りに感じています。料理好きで、とてもやさしい子に育っているので、将来的には虹の戦士になっていくのではないかと期待しています。

教育とは路面の雪のごとく

僕の通っている日本メンタルヘルス協会で「教育とは路面に降り積もる雪のようなものだ」と教えていただきました。路面に落ちる雪は溶けていきますが、路面を冷やしていきます。路面が十分に冷えてきて初めて雪が積もっていきます。

私たちが子供に伝えたことを子どもたちがすぐに出来ることはまれです。最初は効果がないと思いがちですが、消えゆく雪が路面を冷やすように、いつか効果が現れると信じて待つことも大切だと教えられました。全くその通りだと思います。

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