フィリピンで体感した生きる力


(フィリピン カオハガン島    2009年撮影)

サバイバルキャンプで出会った女性と結婚

妻との出会いはサバイバルキャンプでした。ネイティブアメリカンが自然とどのように調和してくらしていたか、その思想をサバイバルを通して体験するワークで偶然出会いました。

ネイティブアメリカンのスピリットを呼び込むペンダントを作ろうと、銀を溶かすために自分たちで作った火起こし道具で、火を起こしているときに妻となる女性が僕の横に来たのです。

実は火起こしは、習熟していないと結構難しく、僕自身は10回に1回火が付く程度でした。
弓切り式火起こしは、火起こし棒と板が適度に抑えられ、摩擦熱が火種にしっかりと伝わらないと、なかなか着火しないのです。

火を起こすのに10分、20分、ときには30分かかることはよくあります。長くやると手の皮も剥けてきます。

それが偶然にもその日はすぐに火がついたのでした。火の神様がサポートしてくれたのかもしれません。
サバイバルワークショップですぐに火がつくのですから、頼りになる男と錯覚したのでしょう(笑)。

火は私たちを穏やかにしてくれます。ワークショップに参加したグループメンバー焚火を見て夜を過ごしました。

フィリピンの現地人の生きる力に感動

サバイバルキャンプで出会った今の妻と結婚し、息子が1歳の時に、昔ながらの文化を持つフィリピンの島に家族で訪れました。
崎山さんという方がカオハガン島という島を購入したのですが、その島には人が住んでいました。

住んでいる人たちは法律的には不法滞在にあたり、追い出すこともできるようですが、(住んでいる彼らを追い出してリゾートを作ることも多いようです)崎山さんは、彼らとの共生を目指しました。

島に住む彼らにとっても崎山さんにとっても、永続可能で彼らの文化や慣習に誇りを持てる島を目指したのです。島の名前はカオハガン島といいました。オーナーの崎山さんはすでに80歳を超えていますが、現地の島民からすれば神のような方です。

物質的なゆたかさと心のゆたかさ

崎山さんと島民が一緒になり、お金で買える豊かさとは違った幸せを築き上げてきました。詳しいことは、崎山さんの書いた「何もなくて豊かな島」という本の中に書かれています。
物質的に豊かではないけれども、心豊かに生きている現地の人との交流を描いている名著です。

妻と結婚する前に、僕はその本を読んでいました。機会があったら行きたいなと思いつつ、本棚に眠っていたのを妻が見つけたのです。

その時は息子は1歳で、良い機会だから一度訪ねてみようかということで訪れることにしました。小さなコテッジがあり宿泊客も受け入れていたので、連絡をすると、すぐに受け入れてくれることになりました。

こうして、カオハガン島を訪れ、家族で島民との交流を楽しんでいました。
彼らと付き合っていくうちに、自然と自分の生活を振り返ることになりました。文明の恩恵を多少得ながら、文明に染まりきることはなく、ゆったりゆったり暮らしているのです。

風が気持よい。
空が刻々と変化する。
島の人たちは、本当にフレンドリーで、子どもたちは、息子と遊んでくれる。

島での滞在は本当に素晴らしいものでした。
7泊8日でいたのですが、特に3泊目くらいから馴染んできたように感じます。

島では、特に何もすることがありません。
私たちのロッジには電気がないので、夕方7時くらいには暗くなってしまいます。

時々、坐禅をして、瞑想らしきことをしてみたり。
(ただ、風が比較的強くて、砂が顔にあたり、瞑想にはなりませんでしたが。)
それでも夜9時には寝てしまいます。

朝は鶏の鳴き声が天然の目覚まし時計です。
暗い浜辺が、だんだんと明るくなってきます。

休み中に台風が来ていて、曇りがちの天気でした。
晴れていたら、きっと素敵な朝日が見れたことでしょう。

朝の涼しいうちに、島の人は海に入って、小魚や貝、ウニなどをとります。私たちも一緒に捕りに行きました。

こんなところに、こんな生きものが!
私たちには見えないものが島の人には見えています。

インターネットもない。
新聞もない。
メールもない。
情報が何も入ってこない。

これが心地よかったりします。

時間が流れるというより循環しているのを感じます。
同じように時が流れていく中で、成長していき、年を取っていく。
それってどんな感じなのだろう。

なんだか、不思議な感覚です。

何か、本当に安全なのです。自然と気持ちもガードが外れてきます。
日本も他の国と比べて安全な国と言われますが、心を完全に開放させても安全かというと、なかなかリスクを感じることも多いものです。カオハガン島では、心も安全になるのでした。

彼らは、自信にあふれ、人生を謳歌しているように見えました。観光客に媚びることがない。
彼らは、自然の循環の中で、生きている。これは、島にいくと、誰でも体感できます。

そして、皆が助けあっています。自分の基盤がしっかりしているから、他人を助けられるように感じました。
食事を終えて8時以降は、特にやることがありません。波の音を聞き、風に吹かれながら、浜辺に寝ころびます。

生きることに直結した生き方

彼らはサバイバルスキルを身に付け、生きていました。なんでも自分が生きるために必要なことを自分で行うことができるのです。
畑を作り、漁をし、家も作ります。

車を作るとかインターネットをやるといった生活とは無縁かもしれませんが、自分が生きるのに必要なことは自分でできてしまいます。
仕事として行っていることそれぞれが、生きることに直結しているのです。

まさに生きることそのものであり、仕事という感覚もないでしょう。これは、僕にとっては、衝撃でした。

カオハガンの人たちは、裕福とは言えませんが、彼らの生活に力強さを感じました。
その一方で、私たちはお金を通して、生きるすべとなるものを買うことで生きています。

比較しても仕方ありませんが、私たちの生き方は何となく弱々しく感じました。

当時、僕はスキューバダイビングのプロガイドの資格を持っており、魚を見つけるトレーニングは積んでいました。
しかし、僕のスキルなど彼らにしてみれば赤子同然でした。彼らは私たちに見えないものが見えています。

私たちには感じることのできない海底の波紋の違いで底の方にナマコが潜んでいることを見て取れます。
僕には全く太刀打ちのできない世界でした。

フィリピンの移住を目指し、退職

私たちは彼らから学ぶ必要がある。
特に息子が小学校に上がる前は、自然と共に生きるすべを身に付けたほうが良さそうだ。

小学校に上がる前までは、しばらくその島で彼らと共に暮らすことで本当に生きた暮らしを学んでいこう。
そう考え会社に辞表を出し、しばらく彼らと生活を共にしてみようと思いました。

当時は会社から農水省に出向していましたが、出向期間が終わるのを見計らい退職しました。
こうして僕たち家族はフィリピンの島の原住民から学ぶために手筈を整えました。当然、親からはバカ野郎扱いです。

今考えても、非常に無謀で浅はかですが、仕事もあまり向いているとも思わなかったので、えいや!みたいな感じで思い切っちゃったのですね。
極端だったなと思います。

部長に挨拶をしてきたのですが、部長には大学受験の息子がいるらしく先週の休みがセンター試験だったそうです。

感慨深げに部長は言いました。

「思い起こせば、俺は息子に対して、何の世話もしないで、大学受験するまでに育ってしまった。
そういう意味では、君のような子育てのために退職するというのはありだとも思う。応援しているよ。
いつでも会社に遊びにきてくれよ。」

いい会社に勤めることができて、幸せだなとつくづく思いました。最後まで良い思い出を作っていただきました。

退職後の感覚

仕事を辞めてみると、すっごい解放感があるのかな、と辞める前までは思っていたんです。

しかし、実際はそんなことはなく、ストレスから肩が凝って、美容院でマッサージを受けるとびっくりされるくらいでした。
基盤がない生活をすることになると、不安を大きく抱えていました。

最初からフィリピンに移住するのはハードルが高すぎると思いました。
そこで、まずは田舎で農的暮らしをすることでサバイバルの体力を鍛えていこうと決めました。

そこで富士山の麓に大きな敷地を持っている知り合いがいましたので、そこで働くので無料で住ませてくれないかと頼みました。

彼にとっても広大な敷地を管理したり、その敷地を使って利用客を呼び込みたいとの思いもあり、僕たち家族がその手伝いをする代わりに、無料で住まわせてくれることになりました。

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