地域活性を目指した団体の設立による成功と失敗


タライ・ラーマくん
今回は僕の無計画さが引き起こした失敗エピソードだよ。
パンダくん
あの時は大変だったよね。

1. リスクを取らなすぎるのもダメだが、リスクを取りすぎるのもダメだ。どこまでならリスクを取れるか考えながら行動しよう

2. 起業するなら主体性が不可欠である。小資本のビジネスは主体性を発揮しやすい。特にネットビジネスはリスクは少なくお勧めだ

3. ビジネスでの成功は10回中、1回くらいだろう。だからこそ、10回挑戦できるビジネスを選びたい

4. 当たり前な生活こそ、ありがたい。

こちらの続きの記事です。

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サバイバル生活の暗雲

田舎でもお金はかかる

フィリピンで現地の人から生きる知恵を学ぼう、その準備として富士山麓で修行しようと考えた私たち家族ですが、お金の問題に直面しました。

当初は、家賃も無料だし、食事も自給できる。そんなにお金がかかることはないだろう。
そう安易に考えていました。現実は甘いものではありませんでした。

まず、税金や年金、健康保険の支払いがあります。
それらは前年のサラリーマンの基準で徴収されます。引っ越し費用もかかりました。

車は私と妻の2台必要です。3年ほどの生活費の貯えを予想していましたが、どんどん吸い込まれて生きました。
このままでは1年以内に生活が破綻しかねません。

向こう見ずな性格が災いして、フィリピンへの移住どころか、一気に貧困に引き落とされる危険にさらされました。

サバイバル仲間のアドバイスで助けられる

何とかしないといけないな、と近くの別の地域に住む昔ながらの仲間に相談しました。
彼も移住者でしたが自分で山も買い、家も自分で作って今や地元に愛されている存在になっていました。

その友達が言うには、地域活性を目指す若者向けに静岡のあるNPOが国から助成金をもらって、彼らを研修する計画がある。
そこに申し込めば、研修費、宿泊費はもちろん、今後の地域活性を担うための支援金も一人当たり10万円もらえますよ、と。

夫婦で参加すれば20万円です。なるほど、NPOによる地域活性か。それもおもしろそうだな。
何より学びながらお金をもらえるのはありがたい。

さっそく申し込みました。

社会起業家というビジネス

研修は非常に興味深いものでした。

社会起業家の存在について深く知ったのもこの研修によってでした。

ビジネスと言えば、対価を払ったものがその対価に応じてサービスを受けられるものと考えていましたが、社会起業家はお金を払っている人とサービスを受けている人が対応していないところに面白さがあります。

お金を払うことができない弱者や、自然保護や雇用問題などの社会の問題を是正するために活動するのです。
社会的課題を解決すべく活動を続けるためには活動資金を調達し続けることが必要で、私たちも食えなければならない。

そのためには適したビジネスモデルが求められます。

研修では社会起業家を目指す人たちのためのビジネス事例なども教えてくれました。

現場では社会問題を解決することを目的とした団体が公募で選ばれ、私たち受講生が選択した団体から現場研修を受けました。

こうして、その団体から現場研修を受けるうちに、僕自身も地域活性に向けた取り組みを行ってみようと考えるようになりました。
私が住んでいた地域は、昔の上九一色村でオウム真理教のトラウマで、移住者を極度に警戒する地域です。

閉鎖的であるが故に新しい産業も育ちにくい。このままでは過疎化がますます進むそんな多くの課題を抱えた地域でした。

前職で農水省に出向し、地域活性の仕事をしてこともあり、今度は現場に根を下ろして地域の社会的課題を解決したいと思うようになりました。

フィリピンでのサバイバル生活はその後でも良いだろう。そんな気持ちでした。

農業法人と自然学校の設立と挫折

幸いにも、この研修を主催している団体と現場研修している団体からもかわいがられ、実際に社会企業を目的とした会社を作ってみないかと一歩進んだ指導を受けました。

こうして、地域活性を目指す農業法人と富士山の自然を見出すことを目的としたNPOを設立することとなったのです。

僕が代表取締役とNPOの理事長という二足の草鞋を履いた生活となったのですが、経験の浅い分野で経営ノウハウやスキルもありません。

そこで、お世話になった現場研修の団体の代表が副代表となり(僕よりも30歳以上上)、その副代表が実権を握り、僕は経営や農業、富士山の自然についてまずは学ぶことにしました。

好スタート

最初のころは、全国紙や地元の新聞取材が多くあり、また農水省の経験もあったことから、助成金などもうまく取得することができたのですが、代表取締役、理事長というのは名ばかりで、代表ということで責任は全て私が追う一方でその責任に伴う権限がない状態です。

今考えると絶対にやってはいけないパターンでしたが当時は代表という名前の良さに魅かれた浅ましさもあり、安易に引き受けてしまったのでした。

これは大きな反省です。

ほころび

その副代表も大した経営能力もなく、設立した農業法人とNPOは経営が悪化していきました。
ちょうど東日本大震災の影響もあり、計画停電を実施している山梨に修学旅行はキャンセルが相次ぎ、観光客も激減している状態です。

事業の赤字を私たちの貯金で埋め合わせていくという光の見えない状況が続きました。
まさに水飲み百姓ならぬ、水飲み社長です。

破綻寸前

副代表だけでなく、理事や役員も地元の人で私は完全にアウェイな人間です。
代表から退きたかったのですが、地元の彼らからすれば私が代表を退くと、責任は彼らに巡ってきます。

彼らにとって、僕が代表を退いてもらっては困るのです。

どんな決議を出そうとボイコットされて、役員会を開くこともできません。
今いる地域では知り合いも少なく、どうにもならない状態となりました。

本来であれば、会社を清算し、就職をしたかったのですが、会社を畳むことが許されず、次の一歩を進めることができない状態が続きました。
日に日に貯えが減ってくる中で、精神的に病んでしまいました。目が覚めても立ち上がることができず、自律神経失調症となっていました。

暗黒時代

地域活性化事業の立ち上げ当時は、新聞社からの取材やパネラーとして評価を受けていたものの、うまくいかなくなったときは、その落差が身に染みます。

取材などで露出が多かったため、どうやったら私のようになれるのかと相談に来る方もおられました。

しかし、僕自身、すでにうまくいっていないのでアドバイスなどできようはずもありません。
これはなかなか辛いものがありました。

よくテレビなどで売れっ子だった芸人がいつのまにかテレビから消えていき、『あの人はどうなった』みたいな番組に出させられるようになる。

その人の立場になって考えると、これはなかなか辛いものがあります。個人的にはその種の番組は個人の尊厳を傷つけることになりかねず、やさしく見守ってあげる世の中になってほしいです。

弁護士に頼んで九死に一生を得る

心身ともに疲弊し廃人のようになっていましたが、妻や子供もいるのでこの状況を打開しなければなりません。
ここは弁護士を使ってでも解決していくしかないと思い、解決してくれる弁護士を探すことにしました。

結果としては山梨では引き受けてくれる弁護士は見つからず、横浜にいたときの友人を頼り、優秀な弁護士を紹介してもらいました。
この弁護士がとても優秀な方で、なるべく裁判とならないように和解を第一に考えてくれる弁護士なのです。

状況を1分も説明すると全体をすぐに掴んでくれてすぐに対応してくれることになりました。

貴方が交渉する必要はないから、と完全に丸投げで済みました。
むしろ、丸投げしてくれた方がやりやすいというのです。

弁護士が入っていながら、交渉相手と変に話し合いをされてこじれるのが一番よくないみたいです。

こうして、東京で就職活動をしながら、就職面接後に弁護士に電話して近況を聞くという生活がしばらく続きました。リクルートエージェントを通して転職活動をしたのですが、非常に丁寧に対応いただきました。

今までタフなことばかりだったので、就職面接はとても楽に感じました。一回大変な思いをするのも悪くないかもしれません(笑)。

仕事がないと保証でひっかかり借家が見つからない。借家が見つからないと履歴書に住所が書けずに不利となる。
まるで卵が先かニワトリが先かという状況でしたが、妻の実家に住所を一時的に移して何とかなりました。

お金がないので、弁護士費用は親に何とか工面してもらいました。50万円くらいだったと思います。

両親は無計画な私たちの生活を心配しており、苦言を呈していましたが最後の最後は親に助けられました。

失敗から学んだこと

富士山麓での生活では栄光と挫折を味わいました。
コミュニケーションスキルの不足もあったように思います。

今であればもう少し、良い意味でうまく立ち回るすべもあったでしょう。
価値観の異なる相手を尊重し、どう方向性を合わせていくかを意識したコミュニケーションができたかもしれません。

そもそも会社の設立者である以上、自分が何をしたいのか、もっと明確にすべきだったのにできませんでした。

また、大学時代の大いなるものがいつでもサポートしてくれるという人生脚本が作られました。
しかし、その脚本が計画性のなさにつながったのも事実です。

自分の運の良さを過信していました。

今もう一度、山梨に移住するとしたら、資本金が大きくなるビジネスは選ばないと思います。失敗したときのリスクが大きすぎるからです。

ネットビジネスなどの金銭的なリスクを最小限に抑えた上で、うまく軌道に回ったら大きくすることも考えるなどしたと思います。

ビジネスで成功するのは10回に1回くらいでしょう。ここで大切なのは10回挑戦できるビジネスを選ぶことです。
農業法人は土地もかかるし資材もかかるビジネスです。

ノウハウが乏しい状態でゼロから行うにはリスクがあり過ぎました。
失敗が許されないビジネスを選んだがために、地元の人に頼らざるを得なかった。これはよくありません。

起業するのであれば、10回挑戦できるビジネス、つまり小資本でできるビジネスからスタートするのが良い、と今では思っています。

ゼロからの再出発

当たり前の生活がどれだけ有難いかを知る経験も貴重だった。当たり前の生活で幸福度を上げることができる

当たり前のありがたさ

貯えも消え、フィリピンでサバイバルを学ぶこともできず、事業も失敗しました。
しかし、それでも得たものも多くありました。
特に大きかったのは、日々の生活がどれだけありがたいことかが細胞レベルで体感できたことです。

就職面接を受けた10分後に、今度は弁護士に電話し、山梨の会社の状況について進捗を確認するなど、ハードではありましたが、当時は必死でした。

山梨での厳しい交渉に比べれば、就職面接は温かくやさしく感じるものでした。
いつの間にか、私自身、精神的なタフさが身についていたようです。

入社後も社会人としての多少のストレスも、当時に比べればたいしたことない。
しかも給料ももらえているではないか、とさほどのストレスと感じることなく生きることができるようになりました。

今までは意識していなかった妻のやさしさにも良い意味で気づくようになりました。

お金もなく住む家もない。
就職先もない状態を経験した後言えることは、当時は当たり前の生活こそ自分がもっとも憧れて手が届かなかったものだということです。

当たり前に生きている。
それは10年前の私たちから見ると、夢の世界に生きているということです。

そんな生活を私たちが送れていることが素晴らしいことなのです。

僕は今普通に生きることができています。
これは10年前の自分から見ると夢の世界に生きているということです。

 

時間とは恐ろしいもので、やっと普通の暮らしに戻れた~とその時は思っても、しばらくすると、これでいいのか、、と現状に満足できなくなってきます。だからこそ、当たり前であることも貴重なことだ、と思い返すようにしたいです。

当たり前の生活を楽しみたいと思っています。

タライ・ラーマくん
どうかご無事で。というのも「事」が無いのがありがたいこと、ということから派生した禅語だよ
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